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朽ちても朽ちぬ赤い花

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こんな話がございます。
都が奈良にあった頃の話でございます。

大安寺に弁西ト申す僧がございまして。
この者は白堂(びゃくどう)を生業トしておりましたが。

白堂トハなにかト申しますト。
欲深き民百姓どもがお寺にやってまいりまして。
あれやこれやト願い事を口にいたしますが。
その願いを仏に取り次いでやる者のことを申すそうで。

「子宝に恵まれとうございます」
「病身の母がどうか回復いたしますよう」
「縁結びをどうかひとつ」

ナドと、好き勝手なことを口々に申しますが。

弁西は嫌がる気色は微塵も見せず。
そのすべてを漏らさず書き留めてやり。
一つ一つを民に代わって丁寧に。
御仏(みほとけ)へ奏上いたします。

中には己のかつて犯した罪業の。
お目こぼしを求めに来る輩もある。

「実はむかし、朋輩を手に掛けたことがございます」
「隣の家の倅を人買いに売り渡しました」
「米蔵に盗みに入ったのは私でございます」

凶悪な打ち明け話を聞かされるたびに。
弁西は決まってこう申すのでございました。

「ご心配なされるな。大慈大悲の観音様はどんな罪でもお許しくださいますからな」

人々は弁西をまるで御仏のように崇め奉る。
弁西も多くの檀家を抱えるようになりました。

それもこれも、弁西自身が観世音菩薩を。
篤く信仰していたためでございましょう。

さて、この弁西には老母がひとりございましたが。
ある日、国許から急ぎの文が遣わされてきた。

読めば、母が大病を発し。
これを治すには三貫銭を要すト言う。

「さ、三貫銭――」

弁西の顔から血の気が引いた。

坊主の中にも小金持ちがよくおりますが。
弁西はさような生臭者ではございません。
身の丈にまるで合わぬ大金を。
どうして調えることができましょう。

さりとて悩んでいても始まらない。
金策もまるでおぼつかぬまま。
国許へ向けて旅立ちましたが。

日ははや西に傾きて。
夕闇迫る峠道。
息を切らして弁西が。
母の待つ郷里へト急いでいる。

額に汗が滲みます。
金のあてなどございません。
急いでどうなるというのだろう。
しかし、他になすすべもない。

「大慈大悲の観世音菩薩
どうかこのわたくしめに三貫銭を恵み給え
これまで嘘偽りなく暮らしてまいり
篤く三宝を敬ってまいりましたこのわたくしに
どうかひとしずくのお慈悲を垂れ給え」

ト――。

シャリン、シャリン。
シャリン、シャリン。

坂の上から聞こえてくるは。
錫杖が地面を突く音で。
弁西がこうべを上げますト。
勧進聖がひとり、坂道を今しも下りてくる。

シャリン、シャリン。
シャリン、シャリン。

見れば、己より十(とお)ほども若い少年僧で。




女のように白い顔。
たおやかな眼差しに。
柳のような腰つきで。

それが、その物腰にも似合わず。
重そうな布袋を左右の腰から下げている。

ジャラン、ジャラン。
ジャラン、ジャラン。

(銭だ――)

錫杖の鈴の音に紛れてはいるが。
確かに聞こえる銭の音。

(――これぞ、お慈悲なりや)

藁をも掴む思いで弁西は。
少年を仰ぎてじろりト睨む。

「ま、待たれよ」

通りすがりに呼び止められて。
少年僧はビクリとした。

「な、なんです」
「さように恐れることはない。その布袋、銭でございましょう」
「さ、さては、追い剥ぎ――」
「そ、そうではござらぬ。大慈大悲の観世音――」

ト、少年に迫るその顔からは。
正気がもはや失われている。

「け、穢らわしい。もったいなくも御仏の名のもとにかような――」
「そうではござらぬ、そうではござらぬ」

必死に弁解すればするほどに。
弁西の顔には鬼気が迫る。
少年は目を見張り、わなわなと震えて後退りする。

「い、いいでしょう。私も御仏の名のもとに、あ、あなたを赦しましょう。我が命を差し出しましょう。私は肉体になど、こ、固執しない」

ト言って少年僧は。
ぶつぶつト経文を唱え始めた。
青ざめた唇が震えている。

「或被悪人逐 墮落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心」

――たとえ悪人に逐われ。
金剛山より落とされることがあろうとも。
かの観音の力を念ずれば。
毛一本失いはしないだろう。
たとえ賊に取り囲まれ。
刀で脅かされることがあろうとも。
かの観音の力を念ずれば。
賊もまたたちまち慈悲心を起こすだろう――。

これぞまさに法華経の。
観世音菩薩普門品。

すなわち観音経の一節が。
命乞いでもするかのように。
弁西の耳に聞こえた時。

すでに目の前の少年僧は。
脇腹を刀で突き刺され。
額を無残に斬りつけられ。

美しくも青白いその顔を。
真っ赤な鮮血で濡らしていた。

「た、たとえ我が肉体は滅びるとも、御仏の教えは不滅なり」

そう言い残した赤い舌が。
いっそう真紅に染まっている。

――チョット、一息つきまして。

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