どこまでお話しましたか。
そうそう、山道で髑髏を拾い上げてやった万侶が、その者を殺した下手人と対峙させられるところまでで――。
二人の者の足音は祭壇のある部屋まで入ってくると、不意に立ち止まりました。
「何者だ」
男の声がなじるように言いました。
万侶は困って幽霊の顔を見る。
「事実通りに仰いなさい」
「――わ、私は元興寺の僧、道登大徳の弟子、万侶と申す修行の身」
幽霊が万侶に後ろを振り返るよう合図する。
見ると、そこに幽霊と同年輩の男が一人、そして老女が一人立っている。
道登大徳の弟子と聞いて、二人は急に床にひれ伏した。
どちらも祭壇にいる幽霊の姿はまるで見えていない様子。
「大徳のお弟子様がこんなあばら家に。もしや生前、弟が何か粗相を致しましたか」
男が窺うように尋ねます。
幽霊は万侶に向かって首を振る。
万侶は戸惑いがちに取り繕う。
「いや、そうではござらぬ。生前、親しくさせていただいた縁で、ご回向に伺った次第」
「息子のために、わざわざこのようにむさ苦しいところへお越しいただきまして。もったいないことにございます」
ト、老女も平身低頭なのを見ると、これは幽霊の母親と思われます。
万侶はさきほど幽霊が言った言葉が気にかかる。
兄と母、いずれも肉親。
髑髏の男はどちらに殺されたというのだろうか。
そして、新たな殺しとは一体何を指して言ったのだろうか。
「万侶どの。これから申すことを、一言一句違わずにお伝えくだされ」
その表情に差し迫ったものを感じまして、万侶は小さく頷いた。
幽霊が思い出すように、ぽつりぽつりと話し始める。
うなだれて恨み言をつぶやくその様が、ようやく幽霊らしく見えてくる。
万侶は促されるまま、二人の母子に背を向けて、幽霊の一言一句を漏らさず語りはじめました。
「母上、兄上――」
ト、万侶が急に取り憑かれたように切り出したから、母子も驚いた。
「今晩は私のために祭祀をしてくださいましてありがたく存じます。私が世を去りましてから、はや三年の月日が経ちました。母上様も兄上様もご存知ではございますまい。私は奈良山の山道に倒れていたところを、この万侶どのに救われ申したのでございます」
万侶は幽霊の求めに従い、母子に背を向けているので、その様子は伺い知れません。
ただ、二人とも息を呑んで耳を傾けているのがよく分かる。
「寂しい山道でございます。夜は獣が我がむくろを貪りに来ます。昼は旅人が鼻をつまんで足早に通り過ぎます。誰にも顧みられないまま、身体は朽ちていきました。ひびの入った髑髏ばかりが残ると、もう人とも思ってもらえません。獣ばかりか、旅人までもが平気で私を踏みつけていきます。辛い思いを致しているところへ、道登さまと、この万侶どのが通りかかって、拾い上げてくださったのでございます」
兄は黙って聞いている。
老母が驚いたように息子の霊に問いかける。
「もう三年も行方が知れないから諦めろと、お前の兄が言うものだから、しぶしぶ受け入れたけれど。それじゃあ、お前。やっぱり死んだんだね。どうして奈良山なんぞで行き倒れになったんだい」
「そのことでございます」
ト、万侶が幽霊の言葉に従って切り出します。
「私はその日、兄上と二人で商いに出掛けたのでございます。私は思いもかけず、銀六百四十両もの金を儲けました。が、兄上は一文も得ることなく、空手で帰ることになったのでございます。すると、その帰途でございます。奈良山の山道を夕暮れに二人で歩いておりますと――」
万侶がそこまで語った時、不意に背後で立ち上がった気配があった。
幽霊の兄の方でございます。
「待て。お前は何者だ。弟の霊を騙って、ありもしないことを――」
「待ちなさい」
それを老母が制しました。
幽霊がそれを見て続きを急ぎます。
万侶も必死に語り継ぐ。
「兄上は妬んだのでございましょう。突然、閃光がひらめいたかと思うと、私はその場に倒れておりました。岩か何かで後ろから殴りつけられたようでございました」
「それじゃあ、お前――」
ト、母堂は長子の方を振り返る。
「お前が、この子を殺したのか」
驚いて、万侶も思わず振り返って長子を見た。
顔面蒼白とは実にこのことで。
髑髏の男の兄は、殺した弟に睨まれたと思って、声が出ない。
がくがくと膝を震わせている。
「三年もの間、さぞかし寂しかったことだろう」
ト、老母が万侶に向かって優しく話しかけました。
「安心をし。お前が奪われた金は、私がきっと取り返してやるから」
そう慰めますと、老母は長子の方を見て、
「さあ、言うんだよ。いったい、どこに隠したんだい」
ト、詰め寄ります。
長子は黙っている。
ト言うのは、弟の怨霊に魅入られたと思い、縮み上がっていたからで。
言葉を失っている兄に助け舟を出すように、幽霊が万侶を通じて言いました。
「母上。金はこの家の南に生えている三本の欅のうちの、真ん中の一本の根元に埋められています」
「わかった。もう心配するでないよ。金は人に知られないように、私がお前の墓に必ず埋めておいてやるから」
その言葉を聞いて安堵したのか、奈良山の髑髏だった男の霊は、ふっと祭壇から姿を消しました。
兄の方は、もう金のことなどどうでも良い様子で。
ただただ万侶から目を逸らして震えております。
その後、この兄は万侶の手引きで出家して、僧侶となったそうでございますが。
一方、老母の方はト申しますト。
後に都へ出て立派な屋敷に住み、富裕な暮らしをしているのを目にした者があったという。
それを伝え聞いて万侶は、思わず身震いしたと申します。
あの日殺されるはずだったのは、兄の方ではなかったのかと。
強欲な老母が長子から金を奪わんとしているのを、あの髑髏の男は気づいていたのではないかと。
だから、母に金の在り処を伝えると、安心して成仏したのではないのかと。
死霊に金はもう用はない。
それよりは、肉親同士の殺し合いが再び起きるのを、どうしても避けたかったのではないかという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「日本国現報善悪霊異記」 上巻第十二『人畜に履まれし髑髏の救ひ収めらえて霊しき表を示して現に報いし縁』ヨリ)