こんな話がございます。
播州姫路の城下に但馬屋ト申す大店がございました。
主人は九右衛門ト申しまして、妹が一人ございます。
名をお夏ト申しましたが、これが大層評判の美人でございました。
当時、京の島原に、揚羽蝶の紋入りの着物を着た評判の遊女がございましたが。
お夏の評判はそれをも凌いでいたと申しますから、美人の程が伺えます。
鄙には稀というどころではなく、遠く京でも噂になるほどでございました。
さて、この但馬屋に清十郎ト申す手代がおりました。
真面目で律儀一徹の男ではございましたが。
これがまた稀代の色男でございまして。
店中の女奉公人が、こぞって熱を上げている。
実は、この清十郎、元を正せば室津の造り酒屋の若旦那でございます。
美男なのをいいことに、早くから放蕩三昧を尽くしまして。
親から勘当された挙句、遊女と心中騒ぎを起こしましたが。
自分一人が助けられ、相手の女を死なせてしまったトいう過去がある。
それ以来、清十郎は心を入れ替えまして。
人のつてでこの但馬屋の手代となりましたが。
今では女から言い寄られることを疎ましく思っている。
イヤ、贅沢な御仁があったもので。
ある時、清十郎は放蕩時代の帯を取り出しまして。
幅をもう少し細く仕立てなおして欲しいト。
女中のおかめに、何の気なく頼みました。
おかめがさっそく帯をほどいてみますト。
中から文が出てくること、出てくること。
いけないと思いつつ、読んでみますト。
すべてがすべて、別々の遊女からの熱烈な恋文でございました。
これは当時、もらいすぎて読みきれなかったものを、帯芯代わりに使っていたもので。
本人もすっかり忘れていたほど、気にもかけていないものでございましたが。
女中というのは毎日が退屈ですから、とにかく下世話でございます。
下働き同士で回し読みをしているうちに、それがお夏の目にも入った。
お夏は大店の箱入り娘です。
あまつさえ、数々の縁談を断ってきた身でもある。
数多い手代の一人一人を気にかけることもなければ。
新参の清十郎のことは、存在も知らずにおりました。
ところが、そこがかえって落とし穴でございまして。
恋を知らない女ほど、ふとした拍子に夢中になる。
花鳥、うきふね、小太夫、明石――ありとあらゆる遊女の名がそこにある。
中身を読んでみても、みな女の方で一方的に恋焦がれているのがよく分かります。
傾城に誠なしとは申しますが、勤めのあざとさよりも、誠の方が滲み出ている。
これほど恋い慕われる男が、己の奉公人の中にいたとはト。
初めはそのことにまず驚きまして。
山のような艶書を次々と読んでいきますうちに。
うぶなお夏も妙な気分になりました。
一体、その清十郎という者は誰であろう。
トいう気がかりから始まりまして。
いつしか、その気がかりが恋心に変じておりました。
驚いたのは、清十郎の方でございます。
こちらもまた、箱入り娘のお嬢様は、話に聞いたばかりで目にしたことがない。
そのお嬢様から、ある日突然、恋文が届いた。
書き慣れていない初々しさが、いかにも大店のお嬢様らしくもございます。
とはいえ、今は女絶ちをしている身でもあり。
また、お嬢様と手代では身分がやはり違いますので。
清十郎はひとまず、見て見ぬふりを決め込んでおりましたが。
その後も、お夏から続け様に恋文が届く。
慣れないながらも懸命に思いの丈が綴られている。
そのうちに、清十郎も心が乱れてまいりまして。
互いにまだ見ぬまま、恋い焦がれるようになりました。
桜咲く春となり、但馬屋一家でも野遊びに行く。
駕籠を仕立てて、お夏と女中が乗り込みまして。
これは女ばかりの花見でございますが。
これに清十郎がお目付け役として同行することになりました。
お夏と清十郎は、この時初めて相手の顔を目にしました。
互いに思い描いていた以上の美男美女。
目と目が語り合いますが、大勢の女中が逢瀬を阻む。
ト、張り巡らした幕の外から、曲太鼓太神楽の賑やかなお囃子が聞こえてくる。
女中たちは物珍しそうに、一斉に幕の外へ駆け出していく。
残されたのはお夏と清十郎のふたりきり。
どちらからともなく寄り添い、手を引きまして。
しばらく経って、女中たちが戻ってきました時には。
清十郎は幕の外、幕の内のお夏は心なしか髪が乱れている。
こんな逢瀬はもう二度とない。
思いつめた二人は駆け落ちを画策いたしますが。
これが後に互いの身を滅ぼすことになろうとは。
この時は思いもよりません。
――チョット、一息つきまして。