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死骸に乗る男

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どこまでお話しましたか。
そうそう、妻の祟りを恐れた夫が、陰陽師に悪霊祓いを頼むところまでで――。

陰陽師に連れられて、家の中へ入っていきますト。
噂に聞いた妻の亡骸が、確かにそこにありました。

髪はざんばらに伸び、骨は生きているように一つに繋がっている。
その骨を視線でたどっていきますト。
まるで床に爪を立てるように、左右十本の指が固く曲がっておりました。
男は思わず、顔を背けた。

陰陽師は、男の恐怖など一顧だにしない。
非常に落ち着いた物言いで、こう言いました。

「死骸の背中に馬乗りにおなりなさい」

男はあまりのことに言葉を失っておりましたが。
やがて、慌てて陰陽師にすがりつきまして。

「ちょ、ちょっと待って下さい。そんなことができるわけがないでしょう。私はこの女に取り殺されないようにしてくれと頼んでいるんですから」

すがりつく男を、陰陽師はどこまでも冷静に諭します。

「それなりに恐ろしい目に遭うと申したはずです。早くしないと、夜になる。死骸は動き始めます」

そう言われると、男は何も言い返せない。

「その死骸の背中に馬乗りになってください。髪を手綱のように強く握っていてください。決して手を放してはなりませんぞ」

男は足をがくがく震わせながら、妻の死骸に馬乗りになった。
髪を両手で手綱のように握りしめる。
そのまま四つ足で走り出しそうで、恐ろしい。

陰陽師は呪文を唱え始めました。
男は妻の髪を握ったまま、じっと黙って待っている。

「さて、私が戻ってくるまで、このままでいてください。改めて申しておきますが、きっと恐ろしいことが起きるでしょう。それでも決してその手を放してはいけません」
「ちょっと待って下さい。あなたはどこへ行くんです」
「この家を離れて身を隠します。私がここにいては、すべてが無駄になる」

男は夜の墓場にでも打ち捨てられた気分になる。
陰陽師を恨めしく思いながら、じっと妻の髪を握りしめていた。

やがて夜になる。
夜が更けて、深夜となる。
男は冷や汗を滲ませて、朝が来るのを待っている。

「重い――。今夜はいやに重い――」

妻の声が聞こえたかト思うト。
突然、死骸がムクムクと起き上がり。
四つん這いのまま、部屋の中を走り回り始めました。

「さあ、奴を探しに行こう」




死骸はそう言って、家を飛び出していった。

垣根を越え、茂みを越え、森を越え、山を越え――。
どこへ行くとも知らず、死骸ははるか遠くまで飛ぶように駆けていく。
男は疾走する猪にまたがったように、髪を握りしめて目をつぶっていた。

やがて、死骸は踵を返し。
元来た道を戻っていった。
元の家に帰ってきて、元のように伏しました。

男は恐ろしさなど、とうの昔に通りすぎ。
すでに心ここにあらずの体で、青ざめておりましたが。
妻の髪の手綱だけは、しっかりと握って放さなかった。

死骸の背の上でただただ茫然自失としておりますト。
不意にどこからか鶏の声。

夜が明けるト、死骸は音もなく声もなく。
抜け殻のように、静かになった。

やがて、ギィーっと音がしますト。
表の戸を開けて、陰陽師が帰ってまいりました。

「恐ろしい思いをされたことでしょう。髪は放さなかったでしょうな」

男は何も答えない。
ただ、ぽかんと口を開けて陰陽師を見上げている。
その手はぎゅっと髪を握りしめている。

陰陽師はそれを見て頷きますト。
再び何やら呪文を唱えまして。

「さあ、帰りましょう」

ト、男を支えて、連れ帰った。

「よく耐えられました。もうこれで案ずることはありません。魔は去りました」

男は泣いて陰陽師を拝みました。

捨てられた女の怨みが、死後もなお仇を探し求めていたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「今昔物語集」巻二十四第二十『人妻悪霊成り其害を除く陰陽師の語』ヨリ。小泉八雲「死骸に乗る者」ノ原拠ナリ)

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