こんな話がございます。
唐土(もろこし)の話でございます。
唐の貞元年間のこと。
河朔の地に、李生ト申す少年が住んでおりました。
李生は地方官吏の家に生まれまして。
それなりに学問もあるはずではございましたが。
どこをどう踏み誤りましたものか。
幼い頃からすこぶる素行が悪く、親からも見放されておりました。
十四、五の頃には、すでにならず者の一味に加わっておりまして。
すぐに仲間とも喧嘩別れをし、盗賊の真似事をしてひとりで暮らしておりました。
貧しい身なりをして、馬を乗りこなし。
弓矢を手に携えて、旅人をおびやかす。
そんな少年の姿に、人々は畏怖と好奇の眼差しを向けまして。
密かに「石窟小賊」と綽名しておりました。
さて、そんなある日のこと。
根城としている岩山の断崖を、李生が馬で進んでおりますト。
向こうから同じ断崖の道を、馬に乗って悠然ト向かってくる者がある。
年の頃は、李生と同じ十五、六の少年でございますが。
見るからに身なりも立派で、気品が漂っている。
馬の背には、両側に二つの袋を振り分けている。
李生が目に入っているのかいないのか、特に慌てる素振りもない。
李生は、その様子がひどく癪に障りました。
己が本来あるべきだった姿を、かの少年がしていたからかもしれません。
日はあたかも西へ沈もうとしている。
強い夕陽が少年の気高い顔立ちを照らし出しています。
李生は陽の影に入って、相手からは姿形が判然としないのでしょう。
しかし、そんなことはもはやどうでもよかった。
李生は背中から弓矢を取って、馬上からギイーッと引き絞りますト。
少年に向かって狙いを定めました。
ここに至って、ようやく少年も慌てた様子を見せ始める。
「ま、待ってくれ」
「待たぬ。馬から降りて、その荷も下ろせ」
少年は李生の言葉に素直に従いまして。
馬から降り、振り分けた荷物も重そうに下ろしました。
李生は相手を睨みつけたまま、弓矢を剣に持ち替えまして。
慎重に馬から降り、一歩一歩近づいていく。
「まだあるだろう」
「ない」
「嘘をつけッ」
李生が声を張り上げる。
「懐に何かを隠しているだろう」
剣先でその懐の膨らみをつつきながら言いました。
少年は観念したように、落ち着き払った表情で。
「ない。あると思うなら、勝手に襟を開いてみればいい」
ト言い放ちました。
李生はその言葉にカッとする。
思わず奥歯を噛みしめて、剣を握り替えたその瞬間――。
少年は自身の腰に佩いていた剣を、さっと手にして身構える。
夕陽の差す断崖の上。
身なりの貧しい少年ト。
気品の漂う少年ト。
まだ年若い二人が、互いに剣を構えて対峙する。
李生はまだ十五とは言え、世に知られたる盗賊ですから。
剣の腕には自信がございます。
ところが、対手の少年もさるもので。
二人は互角に剣を交えておりましたが。
やがて、ついに李生が相手を組み伏せまして。
剣先を喉笛に当てて、脅しました。
「出せ。出さぬと殺すぞ」
少年は懇願するような目で李生を見る。
この時、李生は気が付きました。
右の耳朶が食いちぎられたように欠けている。
「馬も荷もすべてやる。だが、こればかりは見逃してくれ。これがないと、俺は――」
李生は剣を喉笛に当てたまま、左の手で少年の懐を探る。
そこにあったのは、書状のようなものでございました。
ト、少年が李生の剣を、力いっぱい振り払う。
剣は飛ばされて、虚しくも崖の下へ転げ落ちていきました。
剣を握った少年が、李生の胸を蹴飛ばして、起き上がる。
形勢逆転して、李生が組み伏せられる格好になる。
書状を返せば何のことはないのでしょうが。
これほど少年が固執する物を、返す気にはなりません。
素手の李生が、隙を突いて少年の剣を振り払う。
これもまた、虚しく崖の下へ落ちていった。
「次はお前だッ」
「ま、待て」
李生は容赦なく少年の胸ぐらを掴みまして。
崖の上から一気に突き落としました。
断崖絶壁のその下は。
静まり返った幽谷で。
少年の悲鳴は無残にも吸い込まれるように消えていった。
――チョット、一息つきまして。