こんな話がございます。
唐土(もろこし)の話でございます。
かの国の西北、太原の地の商人に。
石憲(せきけん)ト申す者がございました。
たいそう無鉄砲な男でございまして。
危険を顧みもせず、北の夷族の地にまで。
しばしば、商いに出向いておりました。
その年の夏も、石憲は雁門関をひとり超えて行く。
これは雁門山中にある唐土の側の関所でございまして。
匈奴、鮮卑、突厥といった夷族の侵入が続いた頃。
中原の地を守るために設けられた要衝でございます。
北方とはいえ、その日はうだるように暑い日で。
歩き疲れた石憲は、路傍の大木の下で涼んでおりましたが。
あまりの熱さに朦朧とするのか。
さてまた、眠気に襲われたのか。
ともかくも、うとうとトまどろみ始めたその矢先に。
石憲を間近に覗き込む一人の男の姿があった。
褐色の法衣を身にまとい。
やぶにらみの細い目でこちらをじっと見ている。
その様子に石憲が思わず肩をすくめると。
僧はまた一歩進み出て、語りかけてきた。
「あなた。こんなところで横になっていては、熱に冒されて死んでしまいます」
存外にも、ト言っては何ですが。
親身な物言いに石憲はコクリと頷きまして。
その時初めて、己の容態に気がついた。
すでに暑気あたりを起こしていたのでございます。
「拙僧は五台山の南に庵を結んでいる者でございます。ここらとは違い木々も生い茂り、水も豊かでございます。俗世から遠く離れた、やすらぎの地ト申せましょう。ちょうど拙僧の同志たちが避暑に集まっておりますから、あなたもぜひ一緒においでなさい。さもないと、あなた。命が危ない」
石憲はただ、うんうんト頷くのが精一杯で。
実際、暑さで視点も定まらないような有様でございましたので。
一も二もなく、僧の差し出した手を握り。
引かれるままに後をついていきました。
それからどこをどう歩いたものか。
顎を突き出し、舌を出して。
ゼイゼイと歩いておりますうちに。
はや、五、六里ほどは歩いたことでございましょう。
ふと、重い頭をもたげて見ますト。
果たして、遠くに深い森が見えてきた。
徐々にその森の中に足を踏み入れていきますト。
石憲もようやく息を吹き返した心地になる。
大樹に覆われた陰の下、ひんやりとした風が頬を撫でる。
行けば行くほど、冷気が増していくのが感じられます。
俗世の喧騒が徐々に遠ざかっていき。
辺りが張りつめたようにしんとする。
ト、徐々にまた聞こえてまいりましたのは。
バシャバシャと水を叩くような音で。
「ここは玄陰地と申しましてな。我が同志たちが、水浴びをして暑気を払っているト申したのは、ここのことでございます」
見ると、確かに大勢の僧侶たちが。
大きな池の中を、自在にスイスイと泳ぎ回っておりました。
――チョット、一息つきまして。