どこまでお話しましたか。
そうそう、将門の残党狩りに来た大宅光圀の前に、遊女如月と名乗る謎の美女が現れたところまでで――。
遊女相手に盃一つないのもおかしな話ではございますが。
光圀は、突如闇の中に現れた如月と、すっかり打ち解け合いまして。
如月の披露する舞に、手拍子を取る、掛け声を掛けるナドして興に乗る。
「よし、今度は俺が一番舞おう」
如月が座につくと、入れ替わりに光圀が立ち上がる。
「お前は知らぬであろうがな」
光圀は扇を手に力強く舞いながら、語り始める。
「ここはかつて、新皇を僭称する男の住み処でな。恐れ多くも謀反を企て、その余勢を駆って建てたのがこの相馬御所。驕奢の振る舞い都に聞こえ、朝敵討手の三大将、頃は二月の百千鳥――」
ト、いつしか調子を踏んでいく。
「平新皇が最期の一戦 見よや見よやと夕月の 鹿毛なる駒に打ち乗って 向こう者をば拝み打ち 立割ほろ付き車切り かくと見るより上平太が 放つ矢先に将門は こめかみ箆深(のぶか)に射通され 馬よりどうと敢えなき落命――」
戦(いくさ)を目の前に見るかのように。
光圀は額から汗を跳ねさせながら。
「エイエイ、オー」
ト、勝鬨の声まで上げる。
黙って聞いていた如月は、奥歯を噛み締めて忍び泣いている。
「待て。待て、待て。待て。どうして、お前が涙をこぼす」
待っていたのは光圀の方で。
ここぞとばかりに問い詰める。
するト、如月は敢えて笑みを浮かべまして。
「どうして私が泣きましょう。惚れた男と過ごした朝の、後朝(きぬぎぬ)の別れならば泣きもしましょうが」
ト、話題を転じて立ち上がり。
艶ある舞を舞い始める。
「ほのぼのと 雀囀る奥座敷 灯し火湿(しめ)す男ども 屏風一重のそなたには まだ睦言の聞こゆれど――」
その時、如月の袖口から、スルリと落ちたは長い赤布。
「ややッ、これは――」
ト、光圀はすかさず拾い上げ、大げさに騒ぎ立てて言う。
「相馬錦の赤い幟(のぼり)、赤の幟は平氏の印。相馬の平氏の印とは、貴様――」
睨む光圀の眼光を、如月が真正面から受け止める。
「貴様――この荒れ屋敷に巣食うという、滝夜叉姫に相違あるまい」
問い詰められても、如月は。
ただ、不気味な笑みを浮かべている――。
討ち死にした将門には一女があり。
名を五月姫ト申しました。
姫は父の討伐に怨みを抱いたあまり。
貴船明神へ丑の刻参りをするようになる。
そして、満願の二十一夜目。
五月姫の耳に荒御魂(あらみたま)の声が聞こえる。
「汝に妖術と名を授けん。これより滝夜叉姫と名乗るべし」
滝夜叉姫は相馬御所へ立ち戻り。
夜叉丸、蜘蛛丸らの手下を従えて。
父の遺志を継ぎ、妖術をその武器として。
叛乱の兵を指揮しているト申します。
光圀は、その滝夜叉姫を捕らえよと。
朝廷より命じられたのでございます。
「ようやく気づきましたか、光圀殿」
ト、応える滝夜叉姫は、まだ傾城の気品を保っている。
「文武に見どころのあるそなたです。命を助け味方につけんと、今宵お伺いいたしました」
一歩、また一歩ト、滝夜叉姫がにじり寄る。
その優美で艶めかしい顔立ちが。
一歩、一歩ト近づくごとに。
凄みに満ちた形相となる。
「この光圀がこれしきの色香に堕ちるとでも思ったか」
光圀はサッと刀を抜き、滝夜叉姫に斬りかかる。
滝夜叉姫は怒りを露わにし、柳の眉を逆立たせ。
結い髪が瞬時にほどけて、さばき髪となる。
くんずほぐれつの激しい闘い。
その長髪をかいくぐり。
ついに光圀が襟首を掴んだ時――。
梢の木の葉がサラサラ鳴り。
大魔風が戸を叩き破る。
大きな荒れ屋敷がメリメリと。
音を立てて揺れ始めました。
やがて、ガラガラと轟音を発し。
崩れ落ちる、かつての東内裏。
瓦礫の中から這い出した光圀が。
崩れ残った屋根の上を見上げるト。
巨大な蝦蟇が鎮座している。
無数のいぼから吹き出す脂汗。
その脂でぬめった大蝦蟇の背に。
またがっているのは、髪を振り乱した滝夜叉姫。
怨嗟の籠もった眼差しで、光圀をじっと見下ろしたまま。
光圀も決して目を逸らそうといたしません。
やがて名月が雲に隠れるように。
美貌の妖術使い、滝夜叉姫は。
徐々に虚空にその姿を消していったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(歌舞伎舞踊「忍夜恋曲者」(通称「将門」)ヨリ)