どこまでお話しましたか。
そうそう、猟師の老人が仔猪をさばく様を、旅の僧が黙って見守るところまでで――。
老人は若い僧がそこで待っているのも。
もう忘れてしまったかのように。
大粒の汗を額から垂らしながら。
瓜坊の肉塊と格闘している。
それはまるでみずからの老いた精気を。
仔猪から吸い取ろうとしているかのようで。
やがて、格闘が終わり、老人が汗を拭う。
続いて大鍋を火に掛けまして。
バラバラに解体された仔猪の肉を。
鍋にどんどん放り込む。
味噌をとき、葱や大蒜とともにひと煮立ちさせるト。
小屋の中に、生臭さと香ばしさが入り混じった匂いが立ち込めた。
「菜飯だけでは物足りなくはございませんかな」
「いえ、私は――」
老人は何とか一口、猪鍋を食べさせたいようでございましたが。
僧はあくまでもこれを固辞しました。
その晩、老人は久しぶりだという酒を飲み。
僧に、みずからの若い頃の武勇伝を聞かせてくれました。
やがて夜は更け、老人は囲炉裏の前で眠ってしまう。
僧は奥の間に老人を連れていき、寝床を作って寝かせてやる。
ト――。
人里離れたこの大野原の向こうから。
鉦を叩き念仏を唱える声が聞こえてくる。
「こんな夜更けに一体、何だろう」
だんだん近づいてくるその音に耳を傾けておりますト。
余程の大人数のようでございます。
小屋から出て外を望むと、大勢の人たちが松明を掲げているのが見えました。
「あッ――」
思わず僧は声を上げた。
近づいてくるその一行は。
おそらく弔いの行列のようでございます。
ト申しますのも、先頭に若い坊さんが一人いる。
それが他でもない、己自身の姿だったのでございます。
僧はあまりのことに、身の毛がゾッとよだちまして。
小屋から離れて草むらに隠れました。
一行は棺を担いでこちらへ向かってくる。
やがて小屋の前に着きますト、そこに棺を下ろしました。
己と瓜二つの若い僧が、おごそかに経を読み始める。
人々が頭を垂れて聞いている。
やがて弔いが済みますト。
下人が二人、鋤と鍬とで穴を掘る。
そこにみんなで棺を納めますと。
また下人二人が、塚を築き、卒塔婆を立てた。
全てが済むと、人々は若い僧を先頭に。
再び列をなして帰っていきました。
若い僧は呆然としたまま。
しばらくその場を動けずにおりましたが。
ふと、その塚に目をやりまして。
奇妙なことに気がついた。
こんもりと盛られた土が。
むくむくト動いている。
目を凝らしてじっと見ておりますト。
どうやら、塚の中から何かが出てこようとしているらしい。
僧は恐ろしくなって、声も出ない。
その時、突然、ガバッと土をのけて。
裸の男が這い出してきた。
手足に蒼い火の玉のようなものが。
しきりにまとわりついている。
「あッ――」
ト、再び僧は声を上げた。
塚の中から現れた、裸の男をよく見るト。
先程の猟師の老人、その人だったからでございます。
ところが、人としての魂を。
老人はもう失ってしまったかのように。
淀んだ両の目を怒らせて。
獣のように四方をにらみますト。
草むらに潜んだ僧のほうへ。
ぴくっと顔を向けまして。
こちらへ向かって歩きはじめる。
グゥグゥとまるで野犬のように。
鼻を鳴らしながら歩いてくる。
匂いで探しているのでございましょう。
僧は仮にも仏道者でございます。
鬼やら化物やらを恐れはしない。
ところが、この裸の老人だけは。
仔猪をさばいていた時の、あの鬼気迫る表情と相まって。
得も言われぬ恐怖を感じてなりません。
裸の老人が迫ってくる。
目と目がその時、偶然合った。
途端に老人は走り出す。
僧は思わず逃げようとして。
両手を後ろについて後ずさりする。
ト、草刈り鎌が手に触れた。
裸の痩せ老人が飛びかかってくる。
僧は無心で鎌を振りかざす。
吸い込まれるようにして老人が飛んできて。
その鎌にみずから首を斬られてしまった。
バタッと地に肉塊が落ちる音。
僧は慌てて小屋に戻り、荷物を持って逃げ出そうとしましたが。
その騒ぎを聞きつけて、起きてきたのは件の老人。
「オヤ、私が取り逃がした親猪を、坊さまが仕留めてくださった」
言われて、後ろを振り返るト。
大きな猪が首を斬られて死んでいた。
塚も卒塔婆も跡形もなく。
風が血なまぐさい匂いを運んでくる。
関わった殺生は、これで二つ目――。
己は一体、どうしてあんな幻を見たのだろうかト。
恨めしそうな表情で死んでいる、大猪の死骸を見下ろして。
僧は答えのない問いを、みずからに掛け続けていたという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「今昔物語集」巻二十七第三十六『播磨国印南野にして野猪を殺す語』ヨリ)