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波の白雪 名刀捨丸の由来

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どこまでお話しましたか。
そうそう、山中で道に迷った治三郎が、賊の棲み処とも知らずに一晩の宿を乞うたところまでで――。

賊の棲み処と聞いて、治三郎は途端に震え上がる。
そういうことならこっちからお断りだ、ト。
一目散に逃げだそうと致しますト。

「もし、あなた」

ト、女が今更ながら呼び止めます。

「夜の山道を追い返すのは、やはり心苦しゅうございます。それに途中で夫に出くわしたら、元も子もございません。どうぞお入りください」

そう言って治三郎を招き入れると、台所の戸棚へ押し込んだ。

「狭いですが、我慢をしてください。絶対に声を出してはいけませんよ」

治三郎は真っ暗闇に閉じ込められて、心細い思いで息をひそめる。

ト、やがて――。

「お縫、帰ったぞ」

男のガラガラ声とともに、人の気配が戸口に立つ。
治三郎は戸の隙間から家の中を覗いてみる。
そこにいたのは、鉄砲を背に担いだ毛むくじゃらの男。
どうやらこれが噂の捨丸らしい。

「おい、来てるんだろう」

捨丸は訳ありそうに、声を潜めて尋ねます。

「誰がです」
「今日はついてるぞ。日暮れ頃に見たんだ。二十三、四の若いのが一人で呑気に歩いていた。草鞋の擦り切れ具合から見て、ありゃあ懐に五十両ばかり持っているに違いねえ。この辺りで人家と言えばここしかねえからな。どうだ、来てるだろう」

ト、女房のお縫ににじり寄る。

「いいえ、誰も来ていません」

すると、捨丸はさっと表情を変え、

「お前、さては仏心を出しやがったな。山賊の女房がどうして獲物をかばいやがる。おい、どこに隠した。さっさと出せ」

怒鳴りつけたかト思うト、炉の燃えさしの薪を女房の腕に押し付けた。

キャーっと悲鳴が響き渡る。

「言えッ。どこに隠した。言えッ」

戸棚の中でこの様子を見ていた治三郎は。
居ても立っても居られなくなりまして。
思わず戸棚を飛び出しますト。
二人の間に割って入った。

「おい、泥棒野郎。やめろ」
「誰だ、お前は」
「俺がその若いのだ。こんな優しいおかみさんになんてことをする」

ト、義侠心に駆られて賊に詰め寄りますが。

「おっと。ちょうどいいところへ出てきた。お前が出てくりゃ、それでいい。聞いていたろう。さあ、金を出せ」

治三郎は懐に手を当てる。
そこにあるのは、家のために大事な五十両。
ところが、迷いもいたしません。
鷹揚に金を取り出すト、賊の目の前に突き出しまして。




「先祖伝来の田畑を請け返すための金だ。これで気が済むなら、みんなくれてやる」

これには、さしもの盗賊も目を見張る。

「ほほう。なかなか、さっぱりした若い衆だ。では、ありがたくいただこう」

ト、髭をさすって唸りました。

「なかなかいい刀を差しているじゃねえか。それも出しな。それから着物もだ」

主人が支度してくれた着物に腰の刀まで。
治三郎は、たけのこのように身ぐるみはがれてしまう。
下帯一枚のなんとも心細い姿となりました。

「よし。もう、用はねえ。さっさと出ていけ」

捨丸は金を勘定し終えるト、治三郎をあざけるように吐き捨てる。

「頼まれなくっても出ていくさ。だが、一つ頼みがある」
「何だ」
「山の夜道で獣に襲われるといけない。菜っ切り刀でも何でも貸してくれ」
「お前の隠れていた戸棚に、錆びた刀がいくらでもある。好きなだけ持っていけ」

戸を開けるト、確かにそこに刀がゴロゴロとある。
初めから知っていれば、これを握って襲い掛かったものを。
ト、悔やんだところでもう遅い。
適当な長さのものを見繕い、褌に差して去ろうトいたしますト。

「おい、待て」

ト、盗賊が呼び止めます。

「お前、獣が怖いと言ったな。そんなら、これを持っていけ」

治三郎が手渡されたものを見てみるト、先に火の着いた一本の短い縄で。

「獣ってえのは馬鹿だからな。これを振り回してると、近くに鉄砲があると思って勝手に逃げていく」
「そうか。そいつはありがたい。では、遠慮なくいただいていこう」

治三郎は火縄を振り振り、捨丸の棲み処を後にした。

捨丸はその後姿を見つめている。
お縫が夫の後ろから、心配そうに治三郎の行方を見守ります。

やがて、火縄の火が遠ざかっていきますト。
あろうことか捨丸は、おもむろに鉄砲を構えました。
火縄を渡したのも、初めから目印にするつもりだったのでございます。

「あ、あなた。何をするんです」
「決まってるだろう。殺すんだ。あちこちで余計なことを喋られちゃあ困る」
「お願い、やめてッ」

すがるお縫を払いのけ。
捨丸は狙いを定めて鉄砲をズドン。
弾は治三郎の耳をかすめて前の木に命中した。

「ちくしょう、ちくしょう」

治三郎はしかし、弾が飛んできたことに気づきもしない。
ちくしょう、ちくしょうト、さっきから涙を流していたからで。

「ちくしょう。どうして、いつも俺ばかり――」

これほどまでに治三郎が、悔しがったのには訳がある。

――チョット、一息つきまして。

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