どこまでお話しましたか。
そうそう、願人坊主の西念が、千住の女郎お熊から大金を巻き上げられたと気づいたところまでで――。
それっきり西念は、家の中に閉じこもって出てきません。
それから幾十日が過ぎまして。
近所の人達も心配をする。
ト、そこへ現れたのがひとりの若い衆で。
「西念という坊さんの家はこの辺りですかな」
「ええ、その角の家ですよ。あなたは誰です」
「私は西念の甥でございまして」
「ほう、そうですか。いや、ひと月近くも閉じこもって出てこないもんだから、心配してたんですよ」
若い衆もそれを聞いて心配になり。
教えられた家へともかくも入っていきますト。
何だか妙な匂いがいたします。
思わず眉を顰めておりますト。
「おお、誰かと思ったら、じ、甚吉じゃねえか」
ト、中からか細い声が聞こえてくる。
暗がりに目をやりますト。
寝床に人がひとり臥せっている。
伸びた毬栗頭に無精髭を生やし。
痩けた頬骨に、目の下には隈の出来ている。
やつれ果てた西念の姿でありました。
「叔父さん、どうしたんだよ。病気か」
「なに、大したことはねえ」
「何だか臭えな。何だ、この鍋は。グツグツ煮えてるようだぜ」
香ばしいような、焦げ臭いような。
イヤな匂いがプンと鼻を突きました。
甚吉が片手で鼻を摘みながら。
もう片手を鍋の蓋に伸ばしかけたその時。
「や、やめろ。開けるんじゃねえ」
「何だよ。何を煮てるんだ」
「や、やめろ――」
「あッ――」
蓋を開けて甚吉は言葉を失った。
そこにはどす黒い油が。
地獄池の如く煮えたぎっており。
グワグワグワワワワワワワ――。
ト、怒涛のように激しく音を立て。
呑まれるように煮られておりましたのは。
一体の藁人形でございました。
「お、叔父さん」
「畜生。見やがったなァ」
慌てて寝床から這い出た西念は。
ガックリと肩を落としました。
「お、お前さん、誰かを呪い殺す気か」
「そうだ。おれの大事な死に金を騙し取ったコツの女郎を煮殺してやろうとしたが、いよいよ満願という時に、お前に見られちまった」
もう駄目だ、もう駄目だト。
西念は絶望の淵に突き落とされたように。
力尽き、畳の上にうっ伏して泣いた。
おいおいトしゃくりあげる西念を。
甚吉は末恐ろしい思いで見下ろしながら。
「しかし、藁人形に五寸釘というのは聞いたことがあるが、何だって油で煮殺そうと」
ト、再び煮えたぎる鍋の中を見た。
「釘じゃァ駄目なんだ」
「どうして」
「あれは糠屋の娘だから」
「こ、この期に及んで洒落か」
呆れて甚吉が振り返るト。
いつしか後ろから鍋を覗き込んでいる。
その西念の顔容はト申しますト。
目が据わり、眉を吊り上げ。
奥歯をギット噛み締めて。
むしろ一層鬼気迫って見えました。
甚吉の肩口から、じっと鍋の中を覗き込む。
額からは飴のような脂汗がダラリ、ダラリ。
眉間を伝って、鼻先から鍋へポタリ、ポタリ。
そうして、どす黒く煮えたぎった油の中では。
ドロドロに溶けかかった藁人形が。
悶えるように躍り狂っていたトいう。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(落語「藁人形」ヨリ)