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藁人形

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どこまでお話しましたか。
そうそう、乞食坊主の西念が千住の人気女郎お熊に父と慕われ、情にほだされるところまでで――。

西念は膝を進めてお熊ににじり寄りますト。
白く小さな手を握り返して、申しました。

「姐さん。金なら私が貸しますよ」

一瞬、気圧されたように目を見張っていたお熊は。
すぐに呆れたような笑みを浮かべて肩を落とした。

「何を言うのかと思ったら、この人は」
「何です」
「誰がお前さんから借りようと思うかね。誰もお前さんがそんな大金を持っていようとは思わないよ」

お熊は西念の好意に感謝するかのように。
ゴツゴツした手を包むように握り返しましたが。

「それが姐さん、持っているんですよ」
「馬鹿をお言いでないよ」
「あるんです。実はこの十年の間というもの、呑まず食わずで貯めた金がちょうど四十両ある。ええい、嘘だと言うなら今すぐ持ってきます。ここで待っておいでなさい」

そう言い残すト西念は。
座敷を出て、転がるように階段を降り。
飛ぶが如くに通りを駆けていきました。

やってきたのは、いろは長屋。
への九番の前に立ちますト。
あたりをキョロキョロとよく見回しまして。
誰も見ていないのを確かめてから、そっと中へ入りました。

薄暗い四畳半に上がりますト。
手にした包丁の刃先を畳の間に突き刺して。
グイッと畳表をめくりあげた。

床下に半分顔を出して埋められた古い壺。
油紙で蓋をしてあります。
細紐を解いて紙をめくる。
ト、銅銭ばかりが山のように積み上がっている。

「おきせ、よし坊、赦せよ――」

思い起こされるのは、妻子の顔。
病に弱りきった、恨めしそうなあの眼差し。
酒と博打に明け暮れた日々から足を洗い。
改心の証に貯め続けた銭がここにある。

それから七日もの間。
じとじとト雨が振り続けまして。
西念は風邪をこじらせてしまい。
おもらいに出ることもままならい。

次第に暮らしに窮してくる。
薬はおろか、飯を食う金もございません。

「仕方がねえ。お熊に借りよう」

親孝行をさせてくれト、申し出てくれたお熊です。
恥を忍んで打ち明ければ、きっと労ってくれるに違いない。

しとしとト雨のそぼ降る中。
病んだ背中を丸めて表へ出た。

ところが――。

「西念さんが来ましたよ」
「何だよ。いないって言っておくれよ」

玄関口に立った西念の耳に。
二階から聞こえてきたのはお熊の声。
意外な口ぶりに西念は首を傾げた。




――体の具合でも悪いのかナ。

西念はお熊を案じつつ。
長らく待たされたその末に。
ようやく二階へ通されましたが。

「姐さん。ご無沙汰しております」
「ああ、西念さんかい」

今しも目覚めたばかりというように。
床から半身を起こして目も合わせません。
乱れた髪を気だるそうに掻き上げますト。

「こんな雨の日に。何か用かい」

すげなく言葉を投げてくる。

「実は風邪をこじらせてしまいましてな――」
「――ふん、ふん。金を貸してくれだって。悪いね。私も都合が悪いんだよ」

ト、取り付く島もございません。

「なになに、私に四十両を貸したって。馬鹿をお言いでないよ。誰がお前さんのような乞食坊主から」
「いや、しかし、姐さん――」

どれだけ必死に嘆願してもしらを切る。
糠屋の娘だけに、暖簾に腕押し、糠に釘で。

「しつこいね。ねえ誰か、この坊さんを引き釣り出しちゃっておくれよ」

途端に店の若い衆が駆け寄ってくる。
抗う西念を寄ってたかって殴る蹴る。

またたく間に西念は。
血まみれ、傷だらけとなった老体を。
水たまりにバシャンと叩きつけられてしまった。

「いいか、坊さん。人の言うことを真に受けちゃいけないよ。お前が金を持っているのを知って、姐さんたちの間で誰がその金を巻き上げられるか賭けをしていたんだ。それをお熊さんの情人(イロ)が博打ですっちまってね――」
「な、何だって――」

鼠の衣は泥に染まり。
すっかりドブ鼠となった西念は。

「よ、よくもおれの大事な金を盗りやがったな。お、覚えていろ」

ト、喘ぎ喘ぎ言いますト。
泥に染まった鼠の衣を。
悔しそうに歯で噛み締めて。

両手で思い切り掴むト、ビリビリビリ――。

雨の中、濡れ鼠になって駆け去っていきました。

――チョット、一息つきまして。

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