こんな話がございます。
清国の話でございます。
かの国の都、北京は金魚胡同ト申す路地裏に。
徐四ト申す男が暮らしておりまして。
この者の家は赤貧洗うが如しでございます。
兄と兄嫁、徐四の三人が、狭い家に肩寄せあっておりましたが。
五倫の道にやかましいお国柄とは言いながら。
男二人に女一人がおしくらまんじゅうをしているのも同然で。
いくら義姉弟トハ申せども、そこは男と女でございます。
年来、徐四は兄嫁に禁断の恋心を抱き続けておりました。
この兄嫁は年は二十二。
郊外の百姓家から嫁いできたのが七年前で。
切れ長の涼し気な目に、鼻筋がスッと通っている。
色白の美人でございます。
対する徐四は年は二十。
童顔でおとなしい若者でございまして。
粗暴な兄とは見かけも中身も正反対という。
それはそれで釣り合いが取れてはおりましたが。
気性の荒い兄が兄嫁に手をあげるたび。
徐四は兄を制しては、ひとり胸を痛めている。
その優しい心が通じたのでございましょう。
次第に兄嫁が、弟を妙に気にする素振りを見せるようになった。
早朝、水を汲もうト井戸端へ行くト、兄嫁がそこで器を洗っている。
黙って徐四から桶を取り上げるト、水を汲んで渡してくれる。
あかぎれのした弟の手に、みずからの白い手を添えまして。
微かな笑みを口元に浮かべては、一瞬、目を見つめます。
兄の前では決して見せぬそのいじらしさに。
かえって徐四の方が後ろめたさを感じ始めた。
ト、そんなある冬のことでございます。
兄が所用で一晩、家を空けることになった。
「今晩は吹雪だそうだ。姉と弟で助け合って、凍えることのないように」
ト、兄がわざわざ「姉弟」などト申しましたのも。
おそらくは二人の心情に気づいていたからかもしれません。
ところが、取り残された二人は大いに弱った。
ト、申しますのも、かの国では「カン」ト申しまして。
竈の火で暖められた熱気を床下に通して家を暖めます。
朝鮮ではこれを「オンドル」などト呼ぶそうで。
この家はなにぶん貧乏でございますから。
小さな竈から狭い暖室ひとつにしか温熱が回らない。
普段は兄を真ん中に、三人並んで寝ておりますが。
今晩はそこに二人で寝なければなりません。
かと申して、吹雪の晩でございますから。
暖室で寝なければ、きっと凍え死んでしまいます。
二人はしばし、ぎこちない視線を交錯させておりましたが。
やがて、意を決したように兄嫁が口を開きました。
「こうしましょう。私は今晩、実家に帰ります。あなたがここでお休みなさい」
その言葉に、徐四はようやく胸を撫でおろしまして。
震える声で、「はい」とだけ答えましたが。
さて、兄嫁が立ち去ったその晩のこと。
夜は二更(午後十時)に差し掛かり。
外では激しい吹雪が、あばら家をしきりにおびやかしている。
徐四が灯りを消そうトしたその時。
不意に戸をトントンと叩く音がした。
「どなたです」
こんな夜更けにト。
徐四はおおいに怪しみまして。
強風で重い扉を慎重に開けますト。
寒風とともになだれ込むように。
家内に駆け込んできた影がある。
見るト、それは一人の美少年で。
貂の帽子に狐の皮衣を身にまとい。
襟を立てて口元まで覆っています。
手には大きな布袋を提げている。
「お願いです。助けてください」
はてな、ト徐四は訝しく思う。
この声にどこか聞き覚えがある。
「訳は聞かないでください。ただ一晩泊めてくださいませ。こんなものはみんなあなたにあげましょうから」
ト言って、布袋を解きますト。
中から取り出したのは、輝く珠玉に首飾りで。
萬金に値しようトいうほど、ザクザクとたくさん入っている。
「いや、しかし、何をそんなに慌てているのです」
困った徐四がともかくも問いますト。
「実は私は――」
ト言って帽子を脱いだ少年を見て驚いた。
「私は――男ではないのです」
貂の帽子からたわわな黒髪がこぼれ落ちる。
皮衣の首元を解いて現れた赤い唇。
そこに立っていたのは誰あろう。
男装した兄嫁だったのでございます。
――チョット、一息つきまして。