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飛騨の猿神

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こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。

当時、諸国を旅していた若い修行僧が、飛騨の国に迷い込みました。
迷い込んだと申しますのは、あの辺りは非常に山深い土地柄でございまして。
国の大半が鬱蒼とした森と言っても過言ではない。
人跡未踏の地があったとしても、なんら驚くことはございません。

と申しますと、飛騨の者が腹をたてるかもしれませんが。

この修行僧も、人里離れた山奥に入り込んでしまいました。
前方には大きな滝が行く手を阻み、戻ろうとするといつの間にか急峻な崖に背後を囲まれている。
どこをどう進めばよいのか、全く分かりません。
日は暮れはじめ、森の中は心細いほど暗くなってまいりました。

ト、後ろから人の気配がいたします。
振り返りますと、どこをどう通ってきたのか、荷物を背負った男がこちらへ歩いてくる。
修行僧はホッと息をついて、男を呼び止めました。

「旅の者です。見知らぬ土地で道に迷って困っております」

ところが、男はまるで見て見ぬふりをするように、硬い表情で押し黙ったまま、通りすぎてしまいました。
はて、どうしたことだろうと、狐につままれたように見守っておりますト。
男はなんと前方の滝に飛び込むではありませんか。
駆け寄って覗き込んでみると、滝壺には激しい水しぶきが立っているばかりで、男の姿は見えません。

今の人間ならさしずめ、狐や狸に化かされたと考えるところでしょうナ。
それが当時の人間は、人でなければ鬼だと考えたようでして。

あの頃の人間というのは、何かにつけて世をはかなむように出来ております。
ただでさえ寂しい森の中で、道に迷い、さらに不可解な男に遭ったものですから。
「あれが鬼なら、いずれ取って食われるに違いない。これ以上生きながらえて何になろう」
ト、同じく滝壺に身を投げてしまいました。

ところが、あに図らんやとはこのことで。
目を閉じ、歯を食いしばり、「南無三」、ドボンッと滝壺に呑み込まれたかと思いきや。
僧の体はそのままスルリと水面を通り抜けてしまいました。
滝壺の下に、まだ世界が広がっていたのでございます。

見上げると、天井には薄っぺらい水の膜が張られている。
どうやら、あれが滝壺の水面だったらしい。
今、立っている道は、山の中へ坑道のように続いております。
山の向こうへ抜け出てみると、大きな集落が見えてきました。

なんだか妙ではありますが、とりあえず人里に戻れたことには変わりない。
束の間の安堵に浸っておりますと、先程の荷物を背負った男がこちらに走ってくる。
そればかりではない。
後ろから競うようにして、浅黄色の衣を着た別の男が走ってきます。
浅黄の男が追い抜いて、修行僧の腕を掴みました。

「どうぞ、どうぞ。ついていらっしゃい」

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若い僧は困惑しております。無理もない。
が、そうしているうちにも、大勢の人間が集まってくる。
みな口々に「うちへ来い」と袖を引っ張ります。

揉めに揉めた末、「郡司さまのご裁決を仰ごうではないか」ということになりまして。
僧は大勢に引っ立てられて、郡司の大きな屋敷へ連れていかれました。
今で言う代官屋敷でございますナ。

屋敷の中から出てきたのは、年老いた翁。
これがこの集落の郡司らしい。
例の荷物の男が進み出て申します。

「これは、私が日の本の国より連れて来て、この人に譲ったのでございます」
ト、浅黄の男を指し示しますト。
「では、その者が連れ帰れば良い」
ト、あっさり裁決は終わりました。

これで僧の所有者がはっきりしたようで、浅黄の男は大手を振って自分の屋敷へ連れ帰ります。
相当の分限者らしく、大きな屋敷に大勢の奉公人が働いている。
家の者たちは待ちわびていた様子で、手を叩いて喜んで僧を迎えます。

それから、大々的な饗応が始まりまして。
酒に魚に鳥の料理が次々と運ばれてきましたが。
そこは仮にも修行の身。
決して手を付けようとは致しません。

仏道者であると知って、浅黄の男も
「なるほど。それなら仕方がございませんが」
ト、一旦は理解を示しましたが。
「さりとて、この地へ来て魚も鳥も食べないというわけにはまいりますまい」
ト、妙に脅すような口ぶりで。

それだけではございません。
「私に一人娘がございます。どうかあなたに婿になってもらいたい。今日より御髪(みぐし)も生やされては如何か」
ト、生臭だけならともかく、色欲までも勧めてきます。

若い僧は恐怖に屈したのか、さてまた煩悩に心を乱されたのか。
ついにはウンと応じました。
浅黄の男は大喜びで、酒を酌み、魚や鳥を勧めます。
僧も観念して、出されるままに平らげました。

その晩。
現れたのは二十歳ばかりの麗しい娘。
美しく着飾った姿に、僧もハッと見入ります。
鰯で精進落ちなどとは申しますが、これは思わぬ鯛が出てきたもので。
若い僧は一も二もなく、娘と契ってしまいました。

――チョット、一息つきまして。

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