こんな話がございます。
我々関東者にとって英雄と申しますト。
一も二もなく、平将門公でございますナ。
何故かト問うのは野暮というものでございます。
訳あって崇め奉るわけではない。
訳もなく崇めたくなるのが、真の英雄で。
将門公は、一族内での争いに端を発しまして。
やがて京の朝廷から東国を自立せしめんと標榜し。
一時は「新皇」を称するに至りましたが。
最期は藤原秀郷らに討伐されまして。
波乱に満ちた生涯を閉じられました。
その際、京の都大路にて首を斬られましたが。
三日目の晩に、首が故郷関東を目指して飛んでいき。
今の大手門外の地に落ちたト申します。
その首塚に「蛙」の置物が数多奉納されている。
これは、旅人が国へ無事「帰る」という願いを込めたものだそうでして。
もっとも将門公自身は、無事には帰っておりませんが。
さて、将門公が討ち取られましたその後も。
新皇の勢力は、捲土重来を期して、各地に潜んでおりました。
ここは下総国相馬の古御所。
亡き将門公の御殿跡でございます。
かつて栄華を誇った東内裏(あづまだいり)も。
今はすっかり荒れ果てまして。
崩れた天井に巣食う蜘蛛だけが。
主の帰りを待ちわびている。
月影差し込む、その荒れ屋敷のひと間に。
どっかと座って、居眠りをする若者がひとり。
これは大宅太郎光圀(おおやけ たろう みつくに)ト申す豪の者。
主君、源頼信の命により、将門配下の残党狩りに来ておりました。
さしもの豪の者も、押し寄せる睡魔には勝てないようで。
もう何日もこうして番をしておりますので。
眠くて眠くて仕方がない。
ト、うとうとトまどろむ光圀の目に。
何やら妖しい影が映った。
先程まで闇だったこのひと間の片隅に。
みずから燭台を掲げ持つひとりの女。
見るト、きらびやかな衣に身を包んでいる。
美しい傾城でございます。
「おのれ、何者ッ」
こんな荒れ果てた屋敷跡に、遊女が現れるのはいかにも怪しい。
刀に手をかけた光圀を見て、傾城がたしなめるように笑みを浮かべる。
「お慌て遊ばすな、光圀殿。京嶋原より参りし、如月と申す遊女にございます」
「待て。どうして、俺の名を知っている」
思わず光圀は問いましたが。
本当に訝しく思ったのは、京から来たと称していることで。
「そのことでございます。実は都におりました時、客の誘いで嵐山へ遊山に出かけたことがございました。その時に、光圀殿をお見かけ申し、以来、恋い焦がれること幾年月。将門の残党狩りに東国へ下向されたと聞き、後を慕ってここまでやって参ったのでございます」
ト、まるで光圀の心を読んでいるかのようなことを言う。
蝋燭の炎が揺らめいている。
白い煙が立ち上っている。
如月は目を潤ませて、思いの丈を打ち明けている。
「なるほど。そんな女の一人や二人、あったとておかしくはあるまいな」
光圀はそう言って、刀に掛けた手を緩めまして。
闇の中をにじり寄ってくる、遊女如月の肩を優しく抱きましたが。
その眼光はまるで真剣のように、鋭い光を放っている。
実は、この女が現れるのを、光圀はずっと待っていた。
――チョット、一息つきまして。